宮川光代
パソコンとの出会いは11年前頃、WAC東京ポイント主催の「高齢者にメールを」の講習会に参加した事から始まる。
新しもの好きな私にとってパソコンは新しい世界で、メールが出来ることにより「例えベットに伏していても社会と繋がっていられる。」という所が魅力であった。
その当時、職場ではワープロが参入しお知らせなどはガリ版印刷から整って綺麗な文字のワープロへと徐々に変わりつつあった。
受講でメールは何とか出来るようになったが、忙しい日常の中で、メル友が居ないこともあり余り必要性がなく何時の間にか疎遠になってしまっていた。
月日が流れ退職後3年間再就職、父の介護と私の生活が変わった頃から、世間ではインターネットが盛んになりウインドーズ95が発売されパソコンの話題が賑わうようになっていた。興味はあったが、初めの一歩は時間が取れず踏み出せずいたが、WAC誌のチラシに名刺作成しながら学び合う旗の台コム・ワークがある事を知り参加させていただくことにした。
それから、約7年、ワードという言葉も知らなかった私が、今もパソコンと繋がって居られるのはコム・ワークのお陰と感謝している。
パソコンを通じて違った世界の友達が増え、ホームページで趣味のページを持ったり、自分史の流れである写真を採りいれた冊子を作ったり、ご主人をなくして傷心の友達にご主人との思い出を冊子に纏めて喜ばれたり出来るのは、パソコンあってできることである。
隣家の1人息子とチャットをするのは、勉強になり若者気質に気づき、気分が若返った気がして、楽しみである。若いツバメでも出来たらチャットは若返り術となる。
これもパソコンあって出来ることである。
現在、高齢者の1として、社会にお返しできることは、何かと模索中で、高齢によるボケ対策の強力な武器の1つとして、パソコンを続けられたらいいと念願している。
地域では、パソボラでワード、デジカメ、エクセル教室が開かれるようになり、そのお手伝いや、区広報のHP作り、友達にパソコンの魅力を伝えて、パソ仲間と交流出来れば自分の脳も少しは活性化するだろうと一類の望みを託している今日この頃である。